競馬場の朝は早い。まだ夜明け前の冷たい空気が漂う中、調教師や厩務員たちが馬たちの世話を始める頃、ひとりの男が競馬場のスタンドに腰を下ろしていた。その男、浅井という名の中年予想家は、手にした新聞を隅から隅まで読み込み、独自の印を記していく。彼の目は鋭く、時折ペンを走らせながら、まるで解けないパズルを解くように静かに息を詰めていた。
浅井がこの世界に足を踏み入れたのは、20年以上も前のことだ。若い頃の彼は、競馬に興味を持つただのファンだった。しかし、いつしか馬券を買うという行為そのものが彼にとって特別な意味を持ち始めた。「競馬はギャンブルだろう?所詮運任せさ」と周囲から笑われることもあったが、浅井はこう答えた。
「運任せ?違うよ。競馬は、努力と信念が試される舞台だ。」
当時の浅井には馬券で生計を立てる覚悟などなかった。ただ、どうしても馬券を的中させたい、馬を見極めたい、その一心で夜な夜な過去のレース映像を見返し、血統やコースの特性を頭に叩き込んだ。その過程で気づいたのは、競馬には「勝つべくして勝つ法則」があるということだった。
浅井が初めて「大きな当たり」を引き当てた日のことは今でも鮮明に覚えている。3連単を的中させ、大金を手にした瞬間、彼は喜びよりもむしろ恐怖を覚えたという。
「これで満足してしまったら終わりだ。」
その日の夜、ひとり酒を飲みながら、浅井は自分にこう言い聞かせた。「大事なのは当てることじゃない。当て続けることだ」と。競馬は単なる運試しではない。自分の見識を高め、迷いを捨て、正しいレースに正しい金額を賭ける。この鉄則を守り抜けなければ、いずれ破滅する。それ以来、浅井の生活はまるで修行僧のようなものになった。
競馬に挑む者には、それぞれの哲学がある。浅井もまた、自分なりの「馬券道」を確立していった。
「競馬に常識なんてものはない。大事なのは非常識を見つけ、それを信じることだ。人気薄の馬にチャンスがあるなら、その理由を探せ。1センチのハナ差を見極めるために、すべてを注ぎ込め。」
競馬仲間との雑談で、浅井が時折そう語ると、周囲は笑うこともあれば、深くうなずく者もいた。だが浅井はいつも、他人の意見に流されることを嫌った。多数派の予想には目もくれず、自分だけの「独断と偏見」に基づく印を打つ。それが彼の信念だった。
「競馬で人生が変わることなんてあるのか?」
そんな疑問を投げかけられることが浅井には何度もあった。そのたびに彼は答えた。
「あるさ。馬券は努力した者だけに微笑む。そして、その努力が報われた時、人は自分の人生にも希望を見出せるんだ。」
かつて、浅井が人生に行き詰まっていた頃、競馬が彼を救った。負けが続き、財布が空っぽになった日もあった。それでも競馬だけは諦めなかった。なぜなら、競馬には夢があったからだ。そしてその夢が、人生の希望になった。
「馬券は100円から買える。たったそれだけの金で人生が変わるかもしれないんだ。これほど純粋な挑戦が他にあるか?」
浅井は今日も競馬場に足を運ぶ。勝つために。そして自分の信念を貫くために。馬券を手にした彼の目には、希望と覚悟が宿っている。
「競馬は誰でも楽しめる。でも、馬券は努力した者にしか楽しめない。」
その言葉を胸に、浅井はまた次のレースへと挑んでいく。競馬という名の人生のドラマの中で、彼はまだまだ新たな結末を描こうとしている。(つづく)
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